いじめの問題は、日本で社会的問題として、取り上げられてきた。校内の教師から教え子、そして生徒同志の暴力が目に付く様になってきている。これだけではなく、精神的ないじめも行われている。問題化と認めざるをえなくなったのは、いじめに会った子供達が自殺し始めたからだ。

  

アメリカでも、似た問題がある。しかし、小、中学生のレベルで、生徒を自殺にまで追い遣る様ないじめは、ほとんど無い。高校生活に入ってからのいやがらせや、ケンカはよくある話しだ。このケンカはほとんどギャング関係や人種的対立が多い。弱い者いじめもあるが、いじめられた者が結果的に死の道を選ぶというケースは少ない。まして、教師が生徒へ暴力を奮うというような事は絶対にない。

  

この日本とアメリカの校内環境の差は、周囲の大人達にある。第一、アメリカでは、この様な教師としての権力を悪用する様な者から、生徒達を守る法律が組み立てられている。アメリカの教師達は、権力など持っていないと言ってもいいだろう。少しでも権力を見せつけでもしようという者がいれば、すぐ裁判にかけられる。生徒同志のケンカは、ギャング関係以外、死ぬ程ひどくないので、問題として上げない。もしアメリカでこの様ないじめが行われ、自殺を招く事がおこったら、いじめた側は、裁判にかけられ、厳しい判決を受けるだろう。少年院や鑑別所もあるけれど、18歳になったら、またさらに大人として裁判にかけられる。「子供だから。」などという言い訳は、あまり通用しない。周囲の大人、例えば、教師や両親、そして政府は通常この様な非行を許さないし、放ってはおかない。

  

これに比べ、日本では、教師が生徒に暴力を奮う事、はたして体罰であっても許されている。最も、体罰と暴力の区別があいまいである。日本のあいまいさは、昔からの特徴であり、人々の暮らしにはいってきた。これは、悪いものではない。しかし、最近では、区別なく使っているので、せっかくのあいまいさが、悪用されているのだと思う。例えば、いじめの問題がおこれば、「まア、そう怒らなくても。。。」で終わってしまう。だから、生徒達を守る様な法律が成立されない。又、この様な環境に子供達を送っている親達の反論も少ない。はたして、日本の文化と社会は、教師達にこの様な権力を与えているのではないだろうか。その教師達を尊敬し、子供は育つのだから、いじめっ子が中には育ってもおかしくないだろう。そして、この悪質ないじめに対して何も対策が無いものだから、いじめはさらにエスカレートする。又、いじめられている子供の両親は、その子の心境を分かろうとしない所か、中には気付いてやれない親もいる。親子の関係が足りない家族が多いのではないだろうか。親子が慕い合って始めて表面的ではなく、本物の親子関係が生まれる物だと思う。コミュニケーションは、生涯最も必要な基本であって、最も身近な人とのコミュニケーションが閉ざされていたら、誰でも死の道や非行の道へ迷いこんでもおかしくはない。特に子供だからさらにありえる話しだ。

  

いじめを社会問題として取り上げたのは、この様な事にも人々は気付き始めているという証拠だ。これからは、あいまいな部分をもっと厳しく見直し、教育に的した環境を作っていかなければいけないと思います。